私は長年孤独であるため、「孤独」という言葉に敏感になりました。本屋に行くと、孤独という言葉に反応して「孤独のなんとか」というタイトルに目が行きます。
自分の仲間がいるのではという期待…、
もしかして、今までの孤独を生かせるのではという思い…、
本を読んでみると、ことごとくその期待は裏切られることになるです。
それは、私の孤独と著者の孤独の捉え方が異なるからです。世間の孤独本が有用になる人とそうでない人がいると思い、その違いを記事にしました。
孤独本は寂しさのない孤独が前提になっている
タイトルに孤独が含まれいる本をよく見かけます。
- 孤独の○○
- 〇〇の孤独
など(孤独が9割、孤独大全はありませんが)
読んでみると、ザックリですが「孤独を楽しもう」「孤独の時間を使って人生を充実させよう」というメッセージが盛り込まれており孤独を肯定されています。
年配者向けに書かれていることが多いのですが、世間(人や社会)のしがらみから抜けて一人の時間を充実させようという内容です。
それは寂しい孤独ではなく充実した孤独。孤独は素敵なことであるというニュアンスが含まれています。
前提として知っておきたいことは、著者は本を書いて出版するくらいだから、充分に人や社会とつながりがあるのです。大きな孤独を味わっているわけではなく、別のステージにいる人達に思います。
それらの本を読んだとき、著者の主張はもっともであり、人生を充実させられる人が多いことも納得します。
ただ、私はしっくりこない感覚もありました。私の感じている孤独感は、人や社会とつながりのない寂しい孤独だったからです。
著者がすすめる孤独と、私の孤独感は誤差があるのです。
孤独と孤独感の違い
孤独という言葉も捉え方が難しいと思います。
- 孤独=物理的にひとりであること (寂しさを含むとは限らない)
- 孤独感=精神的にひとりであること(寂しさが含まれるニュアンスが強い)
「孤独」は前後の文脈で、寂しさを含んだり含まなかったりするようです。独本の孤独は、孤独を選択できる人の考え方に思い、孤独感とはやや異なるように感じます。
孤独の意味をはき違えない
孤独と孤独感の意味をはき違えると、「孤独は素敵なことだ」と捉えて悦に入ることになります。自分に孤独感があっても、「なんだ、孤独でいいのか」と一時的に気持ちが和らぐかもしれません。
しかし長期的にみると、孤独感への対処がおろそかになると感じるのです。
孤独感のある人が、孤独の意味をはき違えると、より孤独感を強めてしまう結果になるかもしれません。
寂しさのない孤独は、人の充実にとって必要だと思います。寂しさのある孤独(感)は、適切に対処する必要があると思うのです。
寂しさのある孤独感は「つながる能力」が必要
孤独を対処するほうがいい人とは、人や社会とつながる能力が未発達、もしくは一時的に後退している人です。
人は一定量(寂しを感じなくなるまで)、人や社会とつながる経験をすると、その能力を獲得していきます。いつでも人や社会とつながれること、その能力が身についていることに安心感が生まれるからです。
その安心感があって、はじめて自分の意志で「孤独を選択する」ことが可能になるのです。「つながる能力」を獲得しないうちから孤独を選択すると、寂しさが追いかけてくるのです。
まとめ
世間の孤独本は読む人によって受け取り方が異なるような気がします。孤独を選択できる人は、充分に人や社会とつながってきた人だと思います。
これから人や社会とつながる能力を獲得する人は、鵜呑みにせずに自分のステージにあった捉え方が必要に思います。
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