辛い経験が人を成長させるが、辛すぎると歪む

辛い経験で経験値が付与 苦しみ

辛く苦しい人生を歩んでいると、「人は辛い経験をして成長する」という言葉に救いを見いだせる気持ちが生まれます。

しかし本当なのでしょうか?世の中を見渡すと、辛い経験により成長するケースと人格が歪むケースの両方があるように思います。

どのような仕組みになっているのか、私なりに分析してみました。

ほどよい辛い経験は人が成長するために必要

人は経験によって人生を深めていきます。喜びによって幸福な領域を知り、辛い経験によって苦しい領域を知っていくのです。本来どちらの領域に価値があるわけではなく、ただの領域だと思います。

その一方を経験すると、心の領域が広がり「人生をより生きた」ことになると思うのです。自分が対処できる範囲であれば、辛い経験は人生を深めることができるのです。

その辛い経験の真っ只中にいるときはただ苦しいですが、そこを抜け出すと経験値が付与されるのではないでしょうか。

同じレベルの辛い経験は共感できる

人は大かれ少なかれ辛い経験があるでしょう。人生において辛い経験をせずに、楽をしている人をよく思わない人は多いでしょう。それは自分より楽をしている人を認めたくない心理が働くからに思います。

本来、辛い経験に価値があるわけではないとしても、辛い経験に価値を持たせないと、その辛い経験が苦しいままになるから価値を持たざるを得ない心理があるように思います。

そのためか、ほどよい辛い経験は共感されやすいのです。また、その同じ経験でなくても、その辛さのレベルが同じであれば相手に共感を示しやすくなります。ほどよい辛い経験は対人関係において有効になるでしょう。

口だけのケースもあるので注意が必要

よく辛い状況を頑張ってきた話をする人がいます。それは事実だとしても、要注意なのが盛って話をするケースですね。

よく情報発信をしている人などが、辛いことがあって、頑張ったから今があるという話。いい話だし嘘ではないのでしょうが、なにか胡散臭さがある人もいるのです。

人は頑張った人を評価する性質があることを薄々知っていて、それを利用しているからではないでしょうか。自分は頑張った主張がやたら大きくて不自然に感じる場合は、注意が必要に思います。

辛い経験は限度を超えると心が歪む

ほどよい辛い経験は必要だとしても、限度を超えるとどうでしょうか。わざわざ辛い経験をしたい人はいなくても、結果として辛く苦しい状況になってしまう人もいるでしょう。

人は耐えられないほどの辛い経験をすると、心が歪むように思います。心を歪めないと対処できないようになるのです。もしくは現実を歪めて解釈せざるを得ないため、人との交流に悪影響もあります。人間は理不尽にできていると思うのです。

自分より楽に生きている人を認めにくくなる

自分が辛い経験をしていると、相手も同じくらい辛い経験をしていると仲間意識が生まれます。相手が自分より楽に生きている人だとしたら、なにか物足りなさが生じてくるのです。

無意識には、相手も自分と同じくらいの辛さを味わうと自分と対等になると考えるようになります(私だけかもしれませんが)。

自分と相手は別の人間だから、自分と同じ経験をする必要はないとしても、一時的な感情として人を認めにくいのです。

辛い経験ほど負のループになりやすく、抜け出しにくい

ほどよい辛い経験は人生経験になるとしても、その辛さが大きいと、二次災害が生まれやすくなるでしょう。

たとえば、辛く苦しいときは自分のことで精一杯になるから、人を大切にすることが難しくなって、それが対人関係において亀裂が生じることがあります。

辛い経験は苦しみのループをなりやすいのです。そのループを抜け出せない時期は、ただ苦しいだけになります。

どうしたらよいかというと、それでも抜け出すしかないのですが…。

辛すぎる経験は、共感されにくい

共感はあくまで、自分と似たような経験がある人に起こる感情だと思います。多くの人が体験しないような辛い経験は、共感できる人が少なくなっていきます。

そのため、辛すぎる経験をした人は、共感されないことを本能的に知っていて、あまり人に話さないのではないでしょうか。

共感されない人に話すと、余計に相手との距離感が生じると感じるからでしょう。話す相手を慎重に選ぶか、カウンセラーを見つけることが最善になるかもしれません。

まとめ

現実的には、ほどよく辛い経験をすることが人生の豊かさにつながるように思います。しかし度が過ぎると心が歪み、抜け出しにくいでしょう。辛い経験はその両方に作用すると思うのです。

わざわざ辛い経験はしなくていいですが、降り掛かってくることがあります。避けられない、避けられなかった場合、苦しい経験をすることは仕方がありません。人生は理不尽なものですね。

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